反抗的な国友参謀の腕を立ち去り際に笑顔で叩く大村司令官 玉井「司令官、決断していただきます。」大村司令官「引き返す。」艦長「針路、幌筵に取ります。面舵30度。」大村「帰ればまた来ることができる。」「黙って帰ろう。」 救援艦隊の接近に気付いて吠える守備隊の犬 エンディングの字幕(東宝 1965年作品... 続きをみる
60年代のブログ記事
60年代(ムラゴンブログ全体)-
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あなたは、何だかギラギラし過ぎてますね。そう、抜き身みたいに。あなたは、鞘のない、刀みたいな人。よく斬れます。でも、本当にいい刀は、鞘に入ってるもんですよ。 1962年 東宝「椿三十郎」より。城代家老奥方(入江たか子さん)の台詞。 セリフの切れ目に句読点を入れたら、いつもの字数(全角78文字)ピッ... 続きをみる
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ヒロミちゃんはスゴい。足首を鉄棒に引っかけてぶら下がっている。しかも余裕の表情だ。オリンピックの体操選手でもこんなワザは出来ないんじゃないだろうか。ヒロミ、恐るべし。
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ひ え た む ぎ ち ゃ を の ん だ ら と て も お い し か っ た で す 。(空いたマスが24あったので、24文字作文してみた。汗いっぱいかいたら冷たい麦茶が美味しいだろう。)
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せんせいは、ぶんしょうちゃんとよんでいるんですか。だって、にいちゃんはうちをつくりました、ってかいてあるのに、にいさんはなにをつくったの、って、へんでしょ。
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なぜ、最後に「かおをあらいました」と書いたのだろう。文が思い付かず、残りのマスを無理に埋めたのか。それとも、「水」と云う共通項からの無意識な連想であろうか。
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起床して庭へ出ると、植木鉢の朝顔が咲いていた。紫の花が目にはひときわ美しく、青もまた涼しげで趣深いものがある。明朝は幾つの花が開くのか、今から楽しみである。 ※おとな文で翻訳
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叔母さんちに遊びに行ったら、サイダーが出た。翌日遊びに行ったら、水が出た。そして三日目に言われた。「もう来ないで。」正直に言ってくれてありがとう、おばさん。
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よる はなびをしました。おかあさんに、まっちをつけてもらいました。せんこうはなびをはじめにやりました。それで かやくのがきれいでした。(6時起床・20時就寝)
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こっちへ来てごらんと 台所から母が呼ぶ なあにと答えて行ってみたら 父が恐ろしい形相で 母の背を幾度も叩いている 笑顔のままで泣いていた母 怖くて 何も出来なかった僕
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おんぶゴッコが流行った日。裕子ちゃんの背中に飛び乗った瞬間、股間に激痛が走った。パンツ脱ぐと、〇ンコの皮が切れてて流血。皆の前で原田先生に赤〇ンを塗られた。
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焼けた竹をマットレスに刺したら激しく燃えだし、向かいの生垣に延焼。消防車が来るまでの間、叔母や母たちがバケツリレーで消火。怖くなり、コタツの中で震えていた。