湖底に眠る集落の記憶
ダムによって出来た人造湖は、あまり好きではありませんでした。なぜなら、ダムは人間の生活を利する為
とはいえ自然の営みに対する著しい破壊行為であり、その結果生まれた湖は水辺に近寄る事すら難しい不自
然な光景だと感じていたからです。ただ、こうして湖畔のベンチに佇んで聞き慣れない小鳥の声を耳にしな
がら寛いでいると、結果としては不自然であっても山の空気に触れられる事の幸いを覚えずにいられません。
この地を初めてバイクで訪れたのは、今から40年近く前、大学生の時でした。ダムの建設は決定していた様
ですが、まだ工事は始まってはおらず、細い渓流沿いに十戸くらいの小さな集落がありました。渓流と山肌
の間の狭い斜面に積まれた石垣の上に民家が建っており、庭には栗や柿の木が植わっていました。当時走っ
た道路は、今のダム湖水面の数十から百メートルほど下に沈んでいる筈です。
その後、この集落について地元の高校の先生が書かれた著書で、こんなエピソードを知りました。
この地の急峻な山の崖の、一年中日の当たらない岩の間には、夏でも僅かな氷が残っていました。子供が熱
を出した時などには、お母さんがそこへ氷を取りに行った事があったそうです。まだ電気が通じていない時
代、冷蔵庫などなかった昔のことでしょう。私はその話を知った時、山へ氷を取りに行く母親の気持ちを想
像して胸が熱くなりました。言い伝えによれば、その集落が出来たのは鎌倉時代の頃に遡るとの事です。
ダム工事が始まった頃、再び訪ねた時には民家が全て取り払われて更地になっていました。庭だった所に栗
の木が寂しそうに実を付けていたのを覚えています。夏でも氷のあった岩室は何処の辺りにあったのだろう
と眺めてみても、もうそんな風情の欠片も残っていません。山の木々は無惨に伐採され、無機質な岩肌が剥
き出しになっていました。その岩の崖に珍しい動物が1頭、行き来する姿が見られました。天然記念物のニ
ホンカモシカでした。
ダム湖は今、ここに人々が何代にもわたって居住してきた事など幻であったかの様に、山から流れ出た水を
上限まで湛えて静まりかえっています。その水が、やがては下流の街に住む我々の生活を支えてくれている
のです。以前、知り合った骨董屋の主人が私にこんな言葉を掛けてくれました。「水を大切にしなさい。」
この静かな湖畔で、改めてその言葉の重みを噛みしめる思いです。
集落があった頃、その中心に夕霧橋と云う橋がありました。このダム湖はその橋の名を後世に残すべく、
「夕霧湖」と名付けられています。
静まりかえった「夕霧湖」の水面